11月20日のガチャ更新で新ウマ娘「タップダンスシチー」が実装されることが発表されました。
タップダンスシチーは2周年アニバで発表されたキャラで9月末にSSRサポカ(根性)が実装されていましたが、今回ジャパンC直前のタイミングで育成キャラとしても実装されることになりました。
今日はタップダンスシチーの史実紹介をしていきたいと思います。
タップダンスシチー史実紹介
父:プレザントタップ
母:オールダンス
母父:ノーザンダンサー
生涯成績:42戦12勝(12-6-7-17)
獲得賞金:10億8422万1000円
主な勝ち鞍:ジャパンC、宝塚記念、金鯱賞(2003~2005年)
同期にアグネスデジタルやエアシャカール等がいる00世代
エアシャカールやアグネスフライトといったクラシックで活躍した馬がその後不振に陥ったこともあって(2000年ジャパンCでは下位を独占する等)レベルが低かったと見られがちな00世代。
一方外国産馬に目を向けると、芝ダート問わず中央・地方・海外とあらゆるカテゴリーでG16勝を挙げた超オールラウンダーアグネスデジタルや香港でG13勝を挙げて香港魔王とも呼ばれたエイシンプレストンにNHKマイルCとジャパンCダートを制して芝ダートG1制覇を達成したイーグルカフェ等通称○外馬の活躍が目立った世代でもあります。
タップダンスシチーもその○外の活躍が目立った00世代の1頭。しかし2歳や3歳の早い時期から活躍していた前述の外国産馬達と違い、タップは活躍するまでにかなりの時間がかかることになります(成績は典型的な晩成タイプ)。
タップダンスをしながら格上挑戦を繰り返す
デビューから天竜川特別まで(3歳時)
タップは3歳3月の阪神の新馬戦でデビュー。折り返しの新馬を勝利するといきなり格上挑戦で若草Sに出走して5着。次走は再び格上挑戦で京都新聞杯に挑戦してその後ダービーを制するアグネスフライトの3着に好走。
しかしその後は連敗。1勝馬(500万下)にも関わらず900万下へ格上挑戦で2着に好走するとその次走もやはり900万へ格上挑戦(天竜川特別)を行いそこで2勝目を挙げます。
3歳時
4歳新馬(阪神芝2000m):9着
4歳新馬(阪神芝2200m):1着
若草S(阪神芝2200m):5着
京都新聞杯(京都芝2000m):3着
白百合S(中京芝1800m):7着
野苺賞(阪神芝2200m):5着
4歳上500万下(京都芝2400m):4着
八瀬特別(京都芝2400m):2着
天竜川特別(中京芝2500m):1着
万葉Sから江坂特別まで(4歳時)
次走はまたまた格上挑戦でオープン特別の万葉S(京都芝3000m)に挑戦して5着。ちなみにタップが3000m以上のレースを走ったのはこの万葉Sのみです。
その後は1600万下を2戦走って3着→2着の後また格上挑戦でオープン特別(大阪ハンブルクC)に挑んで5着。このレースの後足に怪我を負い、じっくり治すために年末まで休養します。
当時は4歳夏に降級制度(収得賞金を半額)がありこれによってタップは1000万下に降級。年末に復帰後1000万を2回走って4歳シーズンを終了。
4歳時
万葉S(京都芝3000m):5着
関門橋S(小倉芝2000m):3着
但馬S(阪神芝2000m):2着
大阪ハンブルクC(阪神芝2500m):5着
3歳上1000万下(阪神芝2000m):4着
江坂特別(阪神芝2500m):2着
オープンクラスに昇級(5歳時)
年が明けるとまたまた格上挑戦でG2日経新春杯に出走。ここで3着に好走すると次走の1000万と1600万下を連勝し5歳にして待望オープンクラス入りを果たします。
格上挑戦を繰り返し重賞でも好走するなど期待されながらここまで出世が遅れた大きな要因が気性面。調教師曰くタップダンスをしていると例えられ、レース前のパドックではそれを防ぐために二人引きをしており、レースでもその気性面からなかなか力を出し切れないことが続いていました。
オープンに上がったタップは日経賞で2着に好走するもその後勝つことはできませんでした。
5歳時(函館記念まで)
日経新春杯(京都芝2400m):3着
春日特別(京都芝1800m):1着
御堂筋S(阪神芝2200m):1着
日経賞(中山芝2500m):2着
メトロポリタンS(東京芝2300m):3着
目黒記念(東京芝2500m):5着
函館記念(函館芝2000m):8着
佐藤哲三騎手との出会い
朝日チャレンジCで重賞6度目の挑戦。タップはこれまで鞍上が固定できず10人もの騎手が騎乗していましたが、この時は過去に騎乗していた騎手が先約等で騎乗することができずたまたま空いていた佐藤哲三騎手を起用。
スタートから3番手を追走したタップは直線抜け出して後続の追い上げをクビ差抑えて重賞初制覇を挙げます。この時の勝ちタイム1分58秒1はコースレコードでこれ以降タップの鞍上は佐藤哲三で固定され名コンビと呼ばれるようになっていきます。
この後は京都大賞典・アルゼンチン共和国杯・京阪杯に出走していずれも掲示板には載るも勝利には至りませんでした。
5歳時(朝日チャレンジC~京阪杯)
朝日チャレンジC(阪神芝2000m):1着
京都大賞典(京都芝2400m):3着
アルゼンチン共和国杯(東京芝2500m):3着
京阪杯(京都芝1800m):5着
2002年有馬記念
年末の有馬記念でG1初出走。
この年の有馬記念は3歳で天皇賞秋を制してこの後ライバル的存在となるシンボリクリスエス。無敗(6戦6勝)で秋華賞とエリザベス女王杯を制して3歳牝馬で1番人気に支持されたファインモーション。これが引退レースとなるナリタトップロードや昨年の年度代表馬ジャングルポケットの他にもエアシャカール・ヒシミラクル・ノーリーズン・テイエムオーシャン・イーグルカフェ等合計9頭ものG1馬が集結する豪華メンバー。
そんな豪華メンバーが集まった中、重賞1勝のみのタップダンスシチーは14頭立てでブービーの13番人気という低評価でした。
レースは先手を主張したタップがまずハナを切るも、掛かり気味に追走していたファインモーションが1週目のスタンド前でハナを奪いタップは二番手に控える形で追走。しかしファインがペースを落としたところでタップが再び前に進出して向こう正面で先頭を奪い返す激しい展開になります。そこからタップはペースを緩めることなく後続を離していきそのまま最終コーナーを回って直線に突入。この時点でもまだ2番手以下とは5~6バ身程の差があり後続の伸びも鈍い。そのまま逃げ切るかと思われたところにただ1頭シンボリクリスエスが一気に伸びてきてゴール前で交わされ惜しくも半馬身差の2着に敗れました(タップに潰されるような形になったファインモーションは5着で初黒星)。
しかしこの有馬記念はタップダンスシチーの名を全国の競馬ファンに知らしめると共に、自らロングスパートをかけて後続にも脚を使わせつつ粘り込むというレーススタイルを確立するきっかけとなった非常に重要なレースとなりました。
有馬記念(中山芝2500m):2着
飛躍の年
年が明けてタップダンスシチーは6歳。ウマによってはピークを過ぎていてもおかしくない年齢ですが、晩成馬タップダンスシチーの飛躍はここから始まります。
復帰戦の東京リニューアル記念は有馬記念2着がフロック視(マグレ扱い)されたのかオープン特別にも関わらず7番人気という低人気でしたが、その低評価をあざ笑うかのようにトップハンデの58キロを背負って2バ身差で完勝。続く金鯱賞も早めに先頭に立って逃げ切り2連勝。金鯱賞はこの後3連覇を果たすことになります。
続く宝塚記念はシンボリクリスエスの他に史上初となるその年のクラシック二冠馬(ネオユニヴァース)の参戦で大きな盛り上がりを見せる中タップは4番人気で出走。好位から早めに仕掛ける得意のパターンに持ち込みますが、レース上がりが36秒9かかる厳しい流れでシンボリクリスエス共々直線伸びを欠き、後方から伸びたヒシミラクルに差されて3着に敗れました。
秋は京都大賞典から始動。ヒシミラクルとの再戦の形になりますが、先頭を奪うと2番手でピッタリマークするヒシミラクルを直線突き放して重賞3勝目。この頃にはタップダンスを踊らなくなりパドックも一人引きができるようになっていました(調教師曰く「本物になった」)
レース後陣営はタップにはスタートしてすぐコーナーがある東京芝2000mは不向きと考えて天皇賞秋出走を見送り、ジャパンCを最大目標に定めます。
6歳東京リニューアル記念~京都大賞典まで
東京リ記念(東京芝2400m):1着
金鯱賞(中京芝2000m):1着
宝塚記念(阪神芝2200m):3着
京都大賞典(京都芝2400m):1着
大逃げでジャパンC9馬身差圧勝
2003年のジャパンCには宝塚記念以来の再戦となるシンボリクリスエス・ネオユニヴァースの他に菊花賞を勝った道悪巧者ザッツザプレンディ。海外からはBCターフを制したアメリカのジョハーやサンクルー大賞連覇や香港ヴァース勝ちの実績があるフランスのアンジュガブリエル、昨年の中山開催時の2着馬サラファン等が出走していました。
前日からの雨の影響で当日は不良バ場。ジャパンCの時は一段階回復したものの重バ場での開催となります。
1枠1番から好スタートを切ったタップは快調に飛ばして後続との差をぐんぐん広げ、向こう正面から第3コーナーに入るあたりでは10馬身程にまでリードが拡大。そのままリードを保ったまま直線に入ると道悪で伸び切れない後続を尻目に逆にリードを広げ大きな差をつけたまま2着ザッツザプレンディに9馬身差をつけてゴールイン。
タップダンスシチーにとってG1初優勝であり、またこのレースでつけた9馬身という差はジャパンCだけでなくJRAのG1史上最大着差記録(当時)でもありました。
またジャパンCを逃げ切りで制したのは19年前のカツラギエース以来2例目であり、そのカツラギが逃げ切ったジャパンCを見て騎手を志した佐藤哲三騎手が19年後に同じ大逃げで勝利という形になりました。
ジャパンC(東京芝2400m):1着
宝塚記念を得意のロングスパートで完勝
ジャパンCの後は有馬記念に出走。2番人気に支持されるも、前半11秒台のラップが続くハイペースの展開で前崩れとなり8着に惨敗。前走負かしたシンボリクリスエスにジャパンCと同じ9馬身差の勝利を許す形となります(クリスエスはこのレースを最後に引退)。
7歳でも現役を続行したタップは復帰戦の金鯱賞を1分57秒5のレコード(サイレンススズカの記録を0.3秒更新)で勝利して2連覇。
宝塚記念は3歳年下のネオユニと同期のゼンノロブロイやリンカーンらとの有馬以来の再戦となり単勝2.3倍の1番人気に支持されます。
レースはローエングリンが作る1000m通過58秒5のハイペースを3番手で追走。さすがにペースが早すぎると考えたローエンがペースを落とそうとするもそれを許さないタップは早めに仕掛けて第3コーナーで早くも先頭に立つ得意のロングスパートを敢行。並みのウマなら到底最後まで持たないようなこの早仕掛けもタップにとってはまったく問題なく、直線で後続を逆に突き放して2着シルクフェイマスに2馬身差をつけて完勝しました。
7歳(旧8歳)での宝塚記念はスピードシンボリ以来2例目で、前年のジャパンCからこの宝塚記念あたりがタップにとっての絶頂期だったといえます。
6歳有馬記念~7歳宝塚記念
有馬記念(中山芝2500m):8着
金鯱賞(阪神芝2200m):1着
宝塚記念(阪神芝2200m):1着
凱旋門賞の輸送トラブルと引退撤回
宝塚記念を制したタップの次なる目標はフランス凱旋門賞。
しかし輸送する飛行機にトラブルが発生して一旦は出走を断念。しかし出走を望むファンや一口会員の声を受けて一転して出走を目指して改めて予定を組みなおして出国しレース2日前に到着。パドックでは以前の悪癖タップダンスを披露するなどテンションが上がってしまい、レースも17着に大敗という結果に終わります。明らかに順調さを欠く形になってしまったのは残念でした。
帰国後に年内で引退することが決定し有馬記念が引退レースとなることが発表。しかしレース4日前に引退を撤回して8歳となる翌年も現役を続行することが改めて発表されます。
有馬記念は天皇賞秋とジャパンCを連勝していたゼンノロブロイが単勝2.0倍の1番人気。4歳年下の3歳馬で前走ジャパンC2着のホッカイドウ競馬の雄コスモバルクが2番人気。タップはそれに次ぐ3番人気でした。
レースはハナを切ったタップが淀みない流れを作りゼンノロブロイはそれをマークするように2番手を追走。最終コーナーでも脚色は衰えずそのまま直線に入りますが、終始2番手を追走していたロブロイに直線交わされて2着に敗れました。
7歳凱旋門賞~有馬記念記念
凱旋門賞(ロンシャン芝2400m):17着
有馬記念(中山芝2500m):2着
金鯱賞3連覇とその後
8歳になったタップダンスシチーは3連覇をかけて金鯱賞に出走。単勝1.4倍に支持されると、レースではハナを切って1000m通過61秒5のスローペースを作るとラスト3ハロン33秒8(デビュー以来初めて33秒台の上がりをマーク)の脚を使って2着に2馬身半差をつけて逃げ切り金鯱賞3連覇(当時は2例目)を達成。
連覇がかかった宝塚記念は1.9倍の圧倒的1番人気に支持され2番人気ゼンノロブロイ(3.0倍)と3番人気ハーツクライ(18.3倍)の間に大きな差があるなど、オッズ上は二強のような形になっていました。
レースはコスモバルクが作る平均ペース(1000m59秒9)の流れを好位から得意のロングスパートで早めに仕掛けて先頭に立つ前年と似た展開。そのまま先頭で最終直線に入るも、前年のような粘りがなく2番手にいたリンカーンにあっさり交わされるとさらに外からスイープトウショウが一気に伸びて39年ぶりとなる牝馬による宝塚記念制覇を達成。直線失速したタップは7着に敗れる結果となりました。
この時タップダンスシチーには宝塚の追い切り後に他馬に蹴られて外傷を負うというアクシデントが発生しており、それ自体はレースで走れない程ではなかったものの精神面へのダメージが大きかったのかこの後は走りに精彩を欠き二度と掲示板に載ることもできなくなってしまいました。
秋は2年前に回避した天皇賞秋を含めてジャパンC・有馬記念の王道路線に参戦。しかし天皇賞秋9着→ジャパンC10着と敗れ、引退レースの有馬記念もディープインパクトの初黒星で場内が静まり返る中、逃げたタップダンスシチーは12着でゴールに入りこのレースを最後に現役を引退しました。
8歳時
金鯱賞(中京芝2000m):1着
宝塚記念(阪神芝2200m):7着
天皇賞秋(東京芝2000m):9着
ジャパンC(東京芝2400m):10着
有馬記念(中山芝2500m):12着
種牡馬としては1・2年目には100頭以上に種付けするなど配合相手は集めたものの初年度産駒の不振でその後は激減。結局中央で重賞を勝つような産駒を輩出することなく2011年に種牡馬を引退しています。
瞬発力勝負を潰すロングスパート
タップダンスシチーはスタートから緩みのないペースでレースを進めるのが持ち味で、控えた時でも前が緩めようとするとそれを許さず自ら動いて潰しにいってそのまま粘り切ってしまうという、前半は抑えて最後の直線で瞬発力勝負というレースが増えていた当時では異端の存在とも言えました。
タップが好走したG1は全てレース上がりが35秒台後半から36秒台で負けたレースにしても晩年の天皇賞秋以外は全て上がり35~36秒台の地力が問われる勝負になっています。タップが出るレースは引き締まった流れになることが多く見ていて面白い馬でした(個人的な実馬単体への思い入れという意味ではヒシミラクル以上)。